日本では志撃半島で海女が魔除けにイボニシの鯛下線分泌液で手ぬぐいに文様を記していたことを除けば、貝紫染めは行われていなかったものと考えられていた。ところが1991年、吉野ヶ里遺跡から出土した織物片に貝紫が付着していたことからマスコミ等で日本でも貝紫染めが行われていたとして大々的に報ぜられた。しかしこの報道の根拠を科学的に検討すると、古代日本では貝紫染めが行われていたにしてもごく限られた地域に偶発的になされていたにすぎないと考えられる。また日本産のアカニシで染めたものは比較的赤みの少ない紫色となることが注目される。